2021/12/13 19:22
家具屋を始めてもうすぐ10年が経とうとしています。
20代に思い描いた夢を挫折、充実していた会社員時代、いつしか諦めていた夢が大きく膨れ上がり会社を辞め家具屋への再挑戦。
ウミカグを始める少し前のお話です
『好きな場所』で『好きな仕事』をしたいと思い行動にうつした20代後半。
砂浜に打ち上げられた流木でお香立てや照明を制作して物作りの楽しさを感じていた。
私は少しずつ木工の仕事がしたいと考えていた。
では好きな場所は?
海が近い所がいいな。
あと寒がりだし暖かい土地が良いな。
南の島→沖縄
ハイ!沖縄に決定!!
今考えれば超安易
20代の決断なんてそんなもんでしょ?
最低限の荷物を愛車に積み込み東京から名古屋に向かう。
そこからは2泊3日フェリーの旅。
沖縄に移り住み家具作家の元に通いつめ『弟子にして下さい』を連呼した。
創作家具で生活を成り立たせる事は本当に難しい事。
まして従業員を雇い給料を払える工房は少ない。
根負けした師匠は『明日から来い』と言ってくれた。
師曰く『車以外全て捨てろ』
これは頭の中の余計な予備知識を捨てろという意味と
言葉通り車以外を捨てて質素な生活をしろと言う意味が含まれている。
私が暮らしていた地域は那覇市から北に約2時間ほど車を走らせた『名護』という所。
当然電車などの移動手段は無く車を使わないとどこにも行けない。
最低限必要な物は『車』なのである。
師匠に言われたとおり格安のアパートに住み食事を自炊して携帯電話を解約した。
ちなみに私の日当は『3.000円』
労働基準監督署も真っ青な労働条件である。
『少しづつ給料を上げてやるからな』の言葉を信じ厳しい修行の日々を送った。
師匠は木と向き合い家具に誠実で技術を磨き続け自分自身にも厳しい人だった。
『良い物を作り続ければきっとお客さんは来る』が口癖で私も共感し師の背中を追った。
その頃の私は極貧生活。
そもそも貯金はゼロ
月に25日働いたとしても75.000円
物価の安い沖縄でもこの金額で生活する事は難しい。
『家具制作に集中出来なくなるからバイトはしてはならない』
生活費は足りないがバイトは禁止。
謎掛けのような状況。
そうだ!私には魔法のカードがあった!!
貯金が無くてもお金が出てくる不思議アイテム。
足りない生活費は魔法のカードに頼った。
いつか上がる給料を夢見て。
今の状況を知った友人達から届く励ましの手紙が嬉しく何度も読み返した。
私もよく返信の手紙を書いた。
寂しさで誰かの声が聞きたい時はテレホンカードを握りしめ公衆電話に向かった。
親からは『元気ですか?』と電報が届いた。
家具を作っているのに何故か自分の部屋のテーブルはダンボールだった。
給料がたまに65.000円とポリタンクに入ったガソリンの時があった。
工房の番犬代わりに飼っていた『ゴン』のエサが2日に1回になった。
持てる技術を全て注ぎ込み妥協を許さない師匠。
使用する木材にもこだわり出来上がる家具の値段は高価だった。
そんな師を信じお客さんが来る事を願い家具を作り続けた。
その頃の私は生活の不安から眠れなくなっていた。
どんなに切り詰めても最低必要限は出て行く生活費と増えていく借金
本気で明日がこなければよいと思った。
夏が終わり沖縄には秋にもう一度梅雨が来る事を知ったある日。
工房を訪れたのはお客さんではなくスーツを着た男だった。
あの師匠が背中を丸めている。
工房奥の事務所から2人の顔が見える。
頭を下げる師匠。
そして頻繁にスーツ男が工房に来るようになった。
師匠に聞くとスーツを着た男は銀行員。
借金をしていたのは私だけではなかったのだ。
腹を空かせた『ゴン』の鳴き声が工房に響く。
曇り空が続き沖縄の日照時間が全国平均以下だと知った春。
工房は終わりを告げ師匠は材木屋で働き始めた。
私はハローワークに通いカントリー家具の工場で働く事になった。
日当は『5.000円』になった。
師匠の教えが全てだった私は新しい職場の社長と度々衝突しクビになった。
悔しかった。そして最後の給料を手渡された。
このお金で次の仕事を見つけるまで食いつなぐと思うと気が思い。
ちょうどサーフボードとウエットを積んでいたので海に向かった。
車のダッシュボードには鍵がかけられるので大事な給料袋と財布を入れていざ入水!
沖縄はリーフポイント(海底が珊瑚礁)の為、満潮の前後2〜3時間しかサーフィンが出来ない。
時間を気にしながら波に乗る。
落ち込んだ気持ちが和らぐ。
やはり海は偉大だ。
サーフィンを終え車に戻るとダッシュボードが開いている。
???
慌ててドアに鍵を差し込む。
うまく刺さらない。
気が動転しているのか?
違う!鍵穴が壊されている!!
助手席側の鍵を開けダッシュボードを見るとバールの様なものでこじ開けられた痕が。
やられた!
そう私は残りの全財産を盗られたのである。
近くにあったガラス工房に事情を話し警察を呼んでもらった。
沖縄の真っ赤な太陽が海に沈もうとしている。
私は初めて夕日から目をそらした。
この先、大好きな夕日を見る度にこの辛い記憶を思いだしてしまいそうだから。
心の折れる音が聞こえた。
そして私の沖縄生活は終わりを告げた。